口腔ガンを克服し生還。母が口腔ガンになったときの記録。

469217a09e70bb0f471b48836e7ac330_s「壮絶な闘病生活を乗り越えて奇跡の生還!」

時々このような感動的なエピソードがテレビでやってますよね。私は今まで他人事のように観ていました。「家族や親戚は超健康だから関係ない」と心のどこかで感じていたからです。

でも、まさか自分の身に降りかかるなんて思っていませんでした。

母が口腔ガンになってしまったのです。

ガンには様々な種類はありますが、口腔ガンは全ガンでたった1%しかいない稀なガン。母が口腔ガンにかかった時、必死になって「口腔ガンで生還した人」のブログ記事を見て希望を持つ事が出来ました。今度は微力ながらも「口腔ガンで無事生還した母」の記録を綴ります。家族や自分が口腔ガンにかかっても希望を捨てないで下さい。

ガン闘病の際に起こったドロドロとした私の考えなども正直に書いています。ご了承ください。

ちょっとした違和感。口腔ガンの初期症状

2011年4月

当時私は都内で母と2人で暮らし。両親は離婚しているので父は不在。また、私には姉がいますが、結婚していてもう家を出ています。

当時の我が家は精神的なストレスがたまっていました。

・東日本大震災の強い余震
・計画停電
・物流が上手くいかずに食料品が不足
・電車の間引き運転でとんでもなく疲れる通勤
・放射線でパニックになる周りの人

当時は色々とイレギュラーな出来事が重なっていたので、東日本大震災で影響を受けた地域の人々は大なり小なりストレスがかかっていたはずです。

それでも仕事を投げ出すわけにはいきません。真面目な母や私はそれでも仕事を休みませんでした。特に私の仕事はハードで、自分の事に精一杯。当然ながら母の異変に気がつくことなどありません。

後になって母に聞いてみたところ、その頃の母は「口内炎が中々治らない。でもそれはストレスから来ているんだろう」とあまり気にとめる事はなかったそうです。

お母さん、口が臭い!ちゃんと歯磨きしてるの?

2011年8月

東日本大震災の余震も落ち着いてきて、やっと普通の生活になってきた頃。
私の仕事も一旦落ち着いて、母の事も気にかける事ができるようになりました。

そして最近なんだか母親の口が臭い事に気がつきました。

「お母さん、口が臭いよ!歯磨きしてるの?」
「してるよ。口内炎のせいじゃない?」
「え?前も口内炎出来てるとか言ってなかった?」
「そうだね、治ったと思ったらまた出てきて中々治らなくて」
「ふーん」

この時も、まさか病気だなんて思わなくて軽く受け流していました。母親も「なんで口内炎が何度も出来るんだろう」とは思っていた様ですが、病院に行く程の事ではないと判断して放置。

頬が膨れてる!もう病院に行った方がいいよ!

2011年11月

母親の顔をふと見ると、右の頬が膨らんでいました。そして口内炎のせいなのか、母親はドンドン食べるのが遅くなりました。

「なんかの病気なんじゃないの?もう病院に行ったら?」
「え、仕事があるから…」
「今度の休みはいつなの?行きなよ」

病院へ行くことを渋る母。

「そういえばさ、近所に歯科医院が出来るんだって。この機会に行ってみれば」
「そうだね、そうしよう」

母は全然乗り気ではありませんでしたが、頬が痛くなってガマンできなかったらしく、渋々ながらも近所の歯科医院へ行きました。

いつの間にか酷い状態になっていた母親

「うちでは対処できない。大きな病院へ紹介状を書くので行って下さい」

近所の歯科医院へ行ったときにそう言われたとの事。

私はそこで初めて母親の口の中を見てみると、口の中は尋常じゃない状態になっていました。

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頬粘膜(上図参照)が、真っ白にただれていました。

「もっと早く気がついていれば無理やり病院へ連れて行ったのに」
後悔しても遅いですが、落ち込みました。

数日後に大きな病院で検査をし、1週間後に結果が出ました。

それまでの生活が一変…

2011年12月

「病名はガンです」とは言われませんでした。
ドラマとかで見ているとそんな風に言われると思ってたのですが、実際には違うんですね。素人には意味不明な難しい病名を告げられました。

素人の私と母が理解できたのは以下。

・治療方法は放射線か手術しかないと思われる
・大学病院へ行って治療方針をしっかり決めてほしい
・それまではこの薬を飲むこと

医者は色々はぐらかしていましたが、どう考えても「ガン」です。貰った薬名をネットで調べてみると、抗がん剤でしたから。

母がガンだと判明し、心理的変化はどうだったのか

ガンなどの治療法のない病気にかかった人の心理状態は、アメリカの精神科医であるキュブラー・ロスの著書である「死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)」でも紹介されています。

それによると、5段階で変化していくそうです。

1.状態を受け入れられない感情
2.感情が怒りへ
3.何かにすがりたくなる
4.抑うつ
5.全てを受け入れる受容

これは家族である私も同じような感情変化が起こりました。

「なんで健康な母親がガンになるの!」
「私は独身で頼る人もいない。なんで私ばかり母親の面倒を見て苦労しないといけないの?」
「もしも神様が存在するのなら、母親のガンを治して欲しい」
「私も死んでしまいたい」
「生きている事だけでも感謝しなくてはいけない」

ガン患者だけではなくて、その家族にも心理的負担が大きいのです。私は「怒り」の感情が出ていた段階の時、人間関係(親戚など)が悪くなって修復できない状態になってしまいました。

手術するしか方法がない

2011年12月

大学病院で更に精密検査を受けた結果、思ったよりもガンが進行している事が判明。リンパには転移していなかった事だけは幸いでした。ステージⅡの状態ですね。

「放射線治療ではもう治る事は無い。手術しましょう」と医者にきっぱり言われてしまい「手術はしたくない。放射線治療がいい」と思っていた母はショックを受けていましたが、手術に踏み切る事に決めました。

最後の晩餐はステーキ

・場合によっては舌も切る事になるかもしれない
・話すことも食べる事も満足にできない可能性がある


と聞かされていたので、手術の日までは好きな食べ物を沢山食べました。

母が最後の晩餐に選んだのはステーキ。

「自分の歯で噛んで食べるのも、もうできないかもしれない」
「話すことも出来なくなるかもしれないんだよね」

感慨深くつぶやく母の言葉を聞いて涙ぐんでしまいましたが、一番辛いのは本人です。涙をぐっとこらえました。

8時間近い大手術

当初手術は4~5時間と言われていました。
その間、私と姉は待合室で待つことに。

その待合室では、いろんな想いを抱えた人たちがいました。
待っている間に悲しい瞬間もあって。

仕事中に転落して重体になってしまった30代と思われる男性。
一度は息を吹き返したが、結局お亡くなりになってしまいました。
唖然とする母親。
会社に怒りと悲しみの電話を入れる妻。
泣き叫ぶ男性の子供。

このような事が目の前で起こってしまい、5時間たっても母親の手術が終わらなかった私達は暗い気持ちでした。

8時間ほど経った頃、やっと手術が終わりました。

手術は成功。しかし、変わり果てた母がそこにいた

手術は成功したとの事。

「手術は成功」という言葉で嬉しい気持ちになりましたが、そんな気持ちはすぐに消えていました。

医者が言うには

・ガンは綺麗に切除する事ができた
・母のガンは思ったよりも進行していて、想定よりも右頬を取った
・舌の切断は免れたが、舌は自由に動く事は無い
・右下歯茎を全部取った
・顔の右半分はマヒ状態で、今後動かせるかどうかはリハビリ次第

頭では理解できましたが、母がどんな状態なのか想像できませんでした。右頬を取ったってどういうことなんだろう。すぐに母に会って確認したかったのですが「感染症が心配なので面会は翌日にして下さい」と言われたので、その日は帰宅しました。

そして翌日。

私と姉はICUに入っている母に会いました。
そこには、すっかり変わり果てた母。

顔はぐるぐる巻きになっていて。
身体には何本もの管がついていて。
目はうつろで。
話すことも出来ませんでした。

手術成功してないじゃん!

医者は最善の努力をしたのだとわかっていても、その時は怒りを感じてしまいました。

「洗濯は感染症等の危険性があるので院内では出来ません。申し訳ないですが、自宅で洗濯していただけますか」

それから母が退院するまでの4か月間、私は洗濯物の処理のため病院通いをする事になりました。

母の闘病生活の裏側で起こっていた事

手術が終わると母親は病院で闘病生活が始まりました。と言っても、ガンは取り除く事が出来ているので「話す」事・「食べる」事のリハビリです。抗がん剤の投与はしていません。

この辺の描写については、よく他の方が書いている闘病記でも記されているでしょうから割愛します。本人が大変だったのはあえて書かなくてもわかることですからね。

闘病生活は本人だけではなく家族も大変です。他に頼る人がいないと特に。
私は頼る人がいませんでした。
姉はいますが、遠方に住んでいます。手術の翌日に帰ってしまったので家には私一人。
親戚も遠方にしかいなかったので頼る事は出来ません。

ほぼ毎日仕事先から病院へ行って母の様子確認と洗濯物の回収し、自宅へ帰る生活が4カ月程続きました。
私は自動車免許を持っていないので電車で移動していました。仕事先から病院まで片道1時間半。しかも駅から病院まで徒歩25分程。病院から自宅までは片道2時間弱

私がしている事はたいしたことはありません。ですけど私の自由時間は無くなりました。
帰宅する時間は夜中。もうヘトヘトで夕飯を食べる気力もなくて、洗濯物の処理をした後、お風呂に入ってすぐに寝る生活をしていました。

休日は疲れ果てて寝てました。時々病院へ行くのも忘れてしまいました。病院に行かないと行かないで洗濯物が溜まって重いので行かざるをえませんでした。

もう限界。誰も信じる事が出来なくなった

「毎日毎日辛くて大変だ」

私は姉や親戚(母の弟)に愚痴る事がありました。でも私を責める言葉ばかり返ってきました。

「お母さんはもっと大変なんだぞ」
「病院との往復のなにが大変なの?何もやってないじゃん」

あの人たちはごちゃごちゃ言うだけでお見舞いにすら来ない。

私は人を信じられなくなりました。

私は愚痴を言う事すら許されないのか

気がついたら、私はやつれて体重29キロに。
この頃になると、何もかもどうでもよくなって仕事を辞めてしまいました。

母が退院、しかし身体障がい者になってしまった

4か月間の入院を経て母親は退院しました。しかしながら、右半身が上手く動かなくなってしまいました。手術で右頬と右下歯茎を取った影響です。顔も右側だけダラーンと垂れ下がって溶けかかっているような状態。

入院生活で20キロもやせてしまって見た目も老けてしまいました。

母親がリハビリを頑張った甲斐もあって、なんとか話せるようになって、流動食ですが自力で食べる事が出来るようになっていたのだけが救いでした。

「死にたくない!ゼッタイに社会復帰する!」

何が母を変えたのかわかりませんが「社会復帰をしたい」一心でリハビリをしたそうです。

けれども。

変形してしまった顔。
上手く動かない右半身。

なんとか自力で動くことは出来るようになったけれど。
とても社会復帰が出来る状態ではありませんでした。

当時の我が家は、私も仕事を辞めてしまったので収入がありません。貯金を崩しながらの生活。
母はガンになってしまったせいで仕事をやめる事になってしまったので、失業保険の受給申請もしました。母は嫌がりましたが、障がい者申請をして少しでもいいから手当を貰う事にしました。

母は身体障がい者4級と認定されました。
そのとき初めて知ったのですが、身体障がい者になってもたいしたメリットはありません
1級や2級の場合は障がい者年金なども貰えますが、4級ともなると年金は貰えない。
手当は雀の涙だし、メリットもほぼありません。仕事の紹介サポートだってしてくれない。

医療保険にガッツリ入っていたので、医療費の負担は大したことはありませんでしたけど、これって破産してしまう家庭も出てきそうですよね。

とにもかくにも、母は口腔ガンから生還できました。

その後の話

このまま書くのを止めてもよかったのですが、これではバッドエンドで家族がガンになったら人生詰んだみたいですよね。ですので、その後の話もお伝えします。

母の状態

その後、母親は定期的に病院へ通ってガンが再発していないか等の診察を受けています。抗がん剤は使用していません。

右頬の再建手術を何度も受けました。今も顔の形が通常とは異なりますが、大分元通りになりつつあります。なんと仕事を見つける事が出来ました(自力で)!現在は働いています。

「話す」事と「食べる」事に関しても、自己流ではありますが必死にリハビリをしたようで、今では固形物を食べられるようになりました。話すことに関しても、その回復ぶりは凄まじかったです。今では電話を通じて話していても会話が成立するようになりました。

右半身も健常者と同等に動かせるようになっています。以前と違ってまだまだ不自由な部分もありますが、ちゃんと社会復帰しました。

2018年に再発騒ぎがありましたが、結局違っていたので事なきを得た位で、今でも仕事は続けています。

私の現在(2018年)

私も精神的に病んでしまって、仕事をやめたのですが幸いなことに転職できました。ムダに経歴がよかったり(豪州の国立大学卒)英語が出来たりしたからなのもよかったのでしょう。

平凡な人生がどれほど幸せな事か。実感しました。

以前は仕事一筋で結婚なんて考えていませんでしたが、一念発起して婚活。無事に結婚して今では2児の母です。平凡ながら幸せな家庭を築いています。親戚や姉とは元々あまり付き合いありませんでしたが、もっと疎遠になりました。

母が口腔ガンになって気がついた・変わった事

いくら健康でも、ガンや大病にかかってしまう可能性ってゼロじゃないんだな。と改めて感じました。たまたま加入していましたが、医療保険はホントに大事。このおかげで破産する事がありませんでしたから。

今まで私自身は医療保険に加入していませんでしたが、これを機会にガッツリ保険を見直しました。



人間関係についての考え方が変わりました。「遠い親戚より近くの他人」という言葉がありますが、ホントにその通りでした。
親族だからと言って何かしてくれるかと言うとそうとは限りません。

親族よりも、近くにいた他人の方がよっぽど心配してくれました。職場の同僚が昼食をあまり食べていない私を見兼ねて無理矢理食事をおごってくれたり。お隣に住む住人がやつれていく私を見て心配になったのか、私の家のドアに「困ったことがあったらいつでも言ってください」という手紙と食べ物をつるしてくれていました。

それでも当時の私はふさぎ込んでいてお礼の一言も言えませんでしたけど。本当に感謝しています。

人生観も変わりましたね。
平々凡々な生活が一番幸せなのだと気がつきました。

私個人的な話では「キャリアアップよりも平凡な家庭があった方が幸せなのではないか?」と気がつくことが出来て、婚活をはじめました。もし母の事がなければ今でも「キャリアアップ!キャリアアップ!」って言っていたかもしれません。

家族や自分がガンになってしまったら

ガンになってしまった本人だけではなく、家族にも精神的負担が伴います。
ココロが壊れてしまわない様に、家族みんなで支え合って闘病生活を送っていきましょう。

日本人の2人に1人が「ガン」にかかります。
もしあなたの身近にがん患者がいるのであれば、自分自身もがん検査をしてみた方がいいかもしれません。遺伝的になりやすいとかあるみたいですからね。私母ががんになって、あらゆるがん検査をしました。



>>がん検査室

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